ソファと団らん

ソファと過ごす彩り時間

ソファと団らん

いつ頃からだろうか。「両親との会話」を積極的に自分からするようになったのは。

幼い頃は両親にべったりだったのに、中学生に上がったぐらいから、
少し尖りたい自分とそれを見透かす両親との関係に何だか気恥ずかしさを感じて、
あまり自分のことを話さなくなった。

それまでは、帰るとランドセルを放り投げてソファに座り、母に一日の出来事を
一通り喋ったものだ。そして夜に父が仕事から帰ると、ソファで寛いでいる父の側を
ウロウロして、もう一度一日の出来事を話す。今思えば、とても微笑ましい。

いつのまにか、その報告相手は自然と両親から友達になっていった。

夕食後、ソファに座って家族みんなで一緒にテレビを観るのが日課だったのに、
食べたらすぐに部屋に戻るようになった。そして、親しい友達と長電話をする。

今日、誰とこんなことがあった、こんなことを言われた、進路は決めたか、
テスト勉強の具合はどうだと。子どもがそんなふうにして大人になっていく様子を
両親は頼もしく感じながらも、やはり寂しかったに違いない。
部屋へ戻ろうとするといつも両親は「一緒にテレビ観ようよ」と言った。

その時期が過ぎてしまえば、それがただの「思春期」だったことに気付くのだが、
当時は恥ずかしさが先行していた。随分と両親の気持ちを無下にしてきたのではと
大人になってふと不安になった。

そして穴埋めするかのように、自ら会話のきっかけを提供して、距離を縮めていく。
大人になって初めて両親の考え方や価値観に触れるのは楽しいとともに、
何だか不思議な気持ちになる。自分にとっては絶対的に強い存在だったのに、
彼らだって、実は弱さも狡さもある普通の人間だということに気付かされる。

そんな新たな一面を見た時、自分と同じ血が流れているんだなと感じることも多い。
根底に流れている物の見方が、やはり自分とどこか似ているのだ。

両親との会話する場所はいつもソファだ。まだちょっぴり恥ずかしくって、
なかなか目を合わすことができないのだけど。

2012年1月4日 / タグ:[ , , ]