ソファと失恋

ソファと過ごす彩り時間

ソファと失恋

考えごとをするときは、ソファに座っていることが多いように思う。
そこから、ボーっとテレビを観たり、本を読んだり。
でも、内容は全く頭に入らずに、気がつけば窓の外ばかりを見ている。

ソファの心地よい弾力に身を任せる。そして、ソファの色に合わせて買った
クッションとブランケットに癒される。

どんなに思い出を巡らせていても、もう取り返しなどつかないのに、
そうしていることが、いまの自分には必要だと感じる。

反省はするけれど、後悔はしない主義だ。あの時ああすればよかったと考えても
過去に戻れば、また同じ道を辿るのではないかと思うから。
何より、その時の自分が最善の判断として決めたことを責めても意味が無い。

ソファの上で、どのぐらいこんな時間を過ごせば、忘れることができるのだろうか。
心を落ち着けたくて、ホットミルクを作ったのに、気付けば冷めてしまっている。

失恋から、人は多くのことを学ぶ。たくさん失恋したほうがいいとは言えないけれど、
一度、痛みを知ると、人に優しくできるようになったり、
相手の立場に立って物事を考えられるようになったり、少しずつ大人になっていく。

人の気持ちはコントロールできない。
そんな当たり前のことが、どうしてこんなにはがゆいのだろう。

自分の気持ちもコントロールできないほど未熟なのに。

ひとつ学んでは、恋に活かす。
でも、当然だが人の考え方や価値観は十人十色なのだから、学んだことを
そのまま新しい恋に活かしては危険。
そこを見誤ると、結局はまた同じことを繰り返してしまうのだ。

嬉しいことがあれば、ソファの上に座ってクッションを抱きしめ、顔を綻ばす。
悲しいことがあれば、またソファの上に座ってクッションを抱きしめ、涙する。

経験は人を成長させると言うけれど、こんな思いをするぐらいなら成長したくはない。
時間は痛みを和らげると言うけれど、それにしてはあまりにも空虚な時間が長すぎる。

でも、どんな夜を過ごしても、新しい日々は作られていく。
だから、この大好きなソファの上で力をためて、また今日も進むのだ。

2011年12月25日 / タグ:[ , , ]