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ソファに腰をおろして、少し体を横にすると、ちょうど掛け時計が見える。
そもそも、時計が好きだ。時間は無限にあるようでいて、実は有限で、
毎日が同じように過ぎていくようで、実は全く異なった瞬間の積み重ねでもある。
何をするでもなく、ソファの上に転がり、時計の針をボーッと眺めている時がある。
断っておくと、別に何か悩み事があるとか、時間よ止まれと念じているわけでもない。
何の変化もなく、ただ単調に秒数が刻まれていくことが、とても尊いものに感じる。
過ぎた時間は二度と戻らない。そして、人生はまさに選択の連続で、一瞬ごとの出来事に
よって、また、自分がどうジャッジするかによって、少しずつ違う道ができていく。
普段何気なく過ごしている時間が、遠い未来を作っている。
その神秘性に惹かれて、昔は一時期、腕時計を集めていた。
自分のすぐ手元でカチコチなる感じが気に入っていた。
今は、働いたお金を少しずつ貯めて買ったブランドの腕時計を使い続けている。
近年では、そもそも時計を持つ人が減ってきているらしい。
携帯電話が時計代わりになるため、そこで事足りてしまうとのことらしい。
たしかに、目覚ましにもなるし、時間は正確だし、機能としては充分。
でも、なんだか味気ない気がしてしまう。
さらに言えば、時計代わりに携帯電話をチラチラ見るのは、少しみっともない。
高校生ならまだしも、時計で時間を知るというのは、ある意味、大人の正しいマナーだ。
実は、ソファから時計を眺めるのは、もう一つちょっとした理由がある。
海外に住んでいる大事な友人との時差をぼんやり考えている時だ。
こちらがのどかな午後だとすると、友人のいる国は一日が終わった深夜近くだったりする。
そうやって時計を眺めながら、そろそろ電話タイムかな、などと思ったりするのだ。